大徳寺縁起

大徳寺の歴史・あれこれ

大徳寺や神根の歴史について何かありましたら教えて下さい。

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大徳寺縁起

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当山は、今をさかのぼる事、千三百五十年前大化三年に下野国鶏足寺末寺として道合の地に創立され、のち弘法大師の来寺により真言道場となりました。
下って真義真言宗豊山派寺院として安養山無量寿院と号しております。
その間、天正十九年(1591年)徳川家康公鷹狩りの際、当寺に十三日間滞留し、直筆の篇額を賜ったり、又数度の火災に遭うなど、長い歴史の中で幾多の栄華盛衰を繰り返し現在に至っております。
昭和四十四年から同五十三年にかけ檀家総代を始め檀信皆様の総力をあげての後援を得て代二十八世住職、晃進和尚が諸堂の再建を全うしました。

徳川家康の富士見岩

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本堂の前、10メートル位の所に、ちょうど腰をかけるのに良いくらいの岩が地面から突きだしています。
その昔、徳川家康公が鷹狩りにこの地を訪れ、一週間滞留されたそうです。
家康公は、この岩に腰掛けて富士山と夕焼けを眺められたと伝わっています。
現在は、富士山の方向には建物が建っているため富士山を見ることは出来ません。

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富士山の見えた方向

道合天満宮

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道合には、昔から天神様(天満宮)とお稲荷様の二つの神社があったと言われて来ました。
天神様は、外殻自動車道の下・お寺からは西の方向に在ったと言われています、今でも天神山公園と呼ばれるのはそのためです。お稲荷様は、現在のたたら荘のあたりに在ったとされています。
明治になって、その当時の政府の政策で道合や神戸の神社は木増呂の朝日神社に合祀されました。しかし、道合の人は、天神様がよその土地に移されるのをふせぐため、大徳寺の本堂にご神体を隠したそうです。
昭和になって、道合の町会長に災いがつづくので道合の有志で大徳寺の境内に、今の天神社を建てました。

聖徳太子と大徳寺

大徳寺の本堂の奥に聖徳太子がお祀りされています。 聖徳太子は、仏教をこの国に取り入れた日本仏教の大恩人です。 聖徳太子が亡くなられてから21年後となる皇極2年(643)、長男の山背大兄王は(やましろのおおえのおう)は次の天皇の候補として有力視されていました。しかし、蘇我氏は自分の推す古人大兄王を天皇にする為に、巨勢徳太に命じて山背大兄王を襲いました。 生駒の山に逃れた山背大兄王の一族は、従者の三輪文屋君の「東国にひとまず逃れ、体制を整えてから還って戦えれば必ず勝てるだろう」という進言から東国に逃れました。しかし、山背大兄王は聖徳太子の「悪いことはしてはならない、良いことは進んで行いなさい」という教えを思い出し、御仏につかえる生活を選んだのです。聖徳太子の簡易十二階の最高位の大徳をお寺の名前にあてた大徳寺を創建したのはその4年後、大化3年(647)のことでした。 すでに蘇我氏は大化の改新で滅び、聖徳太子のめざした新しい国づくりが受け継がれていました。

 関東の三大師

歴史上、弘法大師さまが、実際に訪れたことから、道合大師と呼ばれています。

大徳寺は鶏足寺末であったことから、富士山、秩父、筑波山の修験道とも関わりがあり、地脈のよいところ(パワースポット)に建てられたようです。

お稲荷さまについて  初午